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京都 洛中洛外図と障壁画の美 :: 2013/10/14(Mon)


東京国立博物館で開催中です。
戦国時代~江戸時代にかけて流行した洛中洛外図屏風のうち、国宝・重要文化財に指定されているものを展示。
事前に展示内容調べないで行ったので、狩野永徳の洛中洛外図があって吃驚した。

永徳の洛中洛外図は、元は足利義輝が発注して、途中で政権交代が起こり織田信長に献上→織田から上杉謙信へ→米沢の方々が大切に保管しておいてくださったおかげで、400年以上経った現在も非常に良い状態で残されています。ありがとうありがとう。
文化財って「大切に遺そう」という意思がないと残存しないものです。
この洛中洛外図屏風にしても信長が「我が安土城を飾れ」と手元に残していたら現在まで残っていない訳だし。強運な屏風だ。


今回の展示品の中でも、地の金箔がごっそり落ちちゃって、下絵が丸見えになっちゃってる絵がありました。それも永徳筆だったかな。

後半は竜安寺、二条城の障壁画を、展示スペースをパーテーションで実際の部屋のように囲って、実際の部屋の配置に近い形で展示。
二条城の、狩野派の実力を思い知れとばかりの絢爛な障壁画が凄かった……!!
狩野探幽の大胆な筆使いとか、「狩野派で一番絵がうまいのは俺だ」と言わんばかりの才気走る筆致、描く度どんどん新しいアイディアが浮かんで筆が走る、周りの奴らが皆ヘタクソに見えてしょうがない、そんな時代の絵。

あの時代は工房制で、「狩野派の松の描き方はコレ、人物の描き方はコレ」と厳格に定められてて(あんちょこもあった)、何描いても良い訳ではなかったんですが、その縛りのある中であれだけ大胆に描けたんだから天才だ……!

二条城は家康が豊臣一族を滅ぼした後、改築し、障壁画が描かれたのも当然その頃、1600年代~歴代将軍の目に触れた障壁画。
歴代将軍の目にはこの絵はどんな風に見えてたのかな。見事だなとか思ったのかな、それともただの絵だとしか思わなかったのかな。
  1. 日記?
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